パチスロ依存症の過去|ギャンブル依存症体験談

 
  • 千葉県
  • 31歳
  • 男性
  • パチスロ依存症

 

パチスロ依存症だった過去

 

自分は、パチスロ依存症だった過去があります。
大学生だったころ、他県の大学に入学したため、一人暮らしをしていました。
日々の生活費は、実家から仕送りをしてもらうことができ、かつ大学生活は非常に時間にゆとりあるものだったため、時間を持て余していました。
しかし、勉強一色だった高校生活からの反動からか、大学の勉強にはほとんど身が入らず、ただ授業を受けるためだけに大学に行き、あとは家でゴロゴロするという毎日でした。

 

そんな怠惰な生活を送っていた時に、大学の友人から授業の後に、たまたまパチスロに連れて行ってもらう事になりました。
そんな偶然から始めたパチスロだったのですが、ビギナーズラックがあったのか、その日に5万円ほど勝つことができたため、一気にその面白さにはまってしまいました。
月数千円から数万円程度のバイト代で働いている事が、なんだかとても馬鹿らしく感じられました。
翌日にも、その友人を誘って大学キャンパス近くのパチスロに行きました。
そして次第に自分だけでも通うようになり、それこそ一日中パチスロをしている状態で、開店前から並び、昼食も食べずに閉店まで打っている、というようなことも頻繁にありました。
ビギナーズラックはそうそう続かないもので、それだけやったとしても、そこから収入が得られるわけではなく、良くてプラスマイナスゼロ、悪いときには月数十万の負けを経験したこともありました。
それでも何とか食いつなぐことはできていましたが、そんな生活では当然学業に支障をきたし、単位を落とすことが多くなりました。
しかし、パチスロにはまっている間は、たとえ留年したとしても、その分の学費や生活費はパチスロで稼げばいい、などととんでもないことを安易に考えていました。

 

結局、その一年後には留年が決定しました。留年の通知を大学から受けても、あぁ、自分は留年するんだ、程度にしか受け止めていませんでした。
けれど、さすがにそれは親にも伝えておくべきだろうな、と考え、本当に久々に電話をかけました。
パチスロにはまっていることや、留年に至ったこと等を親に告げた時には、親は泣いていました。
その電話口からの泣き声を聴き、自分はとんでもないことをしているんだと気づき、パチスロはもう辞めよう、と決心しました。
それ以来、パチスロに限らず、一切のギャンブルをすることはなくなりました。
自分は一年間という、とても貴重な時間を使って気づくことになりましたが、今となってはそれでもその段階で気づくことができて、本当に良かった、と感じています。

 
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