母がパチンコ依存症|ギャンブル依存症体験談

 
  • 岩手県
  • 25歳
  • 女性
  • パチンコ依存症

 

母がパチンコ依存症でした

 

母がパチンコ依存症でした。まだ小学生だった私を家に残し、朝、パチンコ屋が開店してから閉店するまで毎日のようにパチンコ屋に行っていました。私は一人っ子なので兄弟はいません。昼ご飯は給食がありましたが、晩ごはんは家にあるカップラーメン一杯。

 

それが何年も続きました。

 

私の学校が休みの時は朝から母はおらず、いたとしても車で一緒にパチンコ屋へ連れていかれ、今は禁止されている車内放置をされていました。一度車内の暑さで熱中症にもなり、生死をさまよいました。

 

父は出稼ぎの仕事で、帰ってくるのは年に数回のみ。父がいる間だけは必ず家におり、ちゃんとした専業主婦を演じていたようです。
当時の私は何度も父にパチンコの事を話そうかと思いました。寂しくて苦しくて…「お母さんはパチンコばっかりしてるよ。」って。でも何故だか言えなかったんです。
言ったら家族が壊れてしまう…子供ながらに悟っていたのだと思います。

 

しかしある時、母のパチンコ通いがバレました。
どうやら数百万を借金していたようで、通帳を見た父が大激怒。

 

母は何も言えずにそのまま離婚となりました。

 

私は父に引き取られ、借金は母の父親が返済してくれたようです。
こんなにも、様々な人に迷惑をかけたにも関わらず離婚後も母はパチンコを続けているようです。

 

その後私は大人になり、母とも疎遠になっていきましたが、田舎に住んでいるため母の噂を聞くことがあります。

 

パチンコ屋で新しい彼を見つけては日がなパチンコをしているそうです。仕事もしていません。昔は身なりもちゃんとして綺麗な母で自慢の存在でしたが、いまはボロボロ。あまり近付きたくない雰囲気だとか。

 

借金もしているそうなので、あらかじめこちらは財産放棄をするつもりです。

 

大人になった今でも、私はずっと一人で寂しかったあの頃が忘れられません。
もっと母と一緒にいたかったし、色んな話をしたかった。
学校の行事でも、パチンコ。一切行事には参加してくれなかった。
勇気を出して、「寂しい」と言った事もありました。
でも母は私を置いていきました。
どうして子供の私を置いてまで、パチンコに依存してしまったのかも分かりません。
父は留守がちだったので母は母なりに寂しくてギャンブルに手を出したのかもしれません。

 

それでも、今からでもやり直せるんじゃないかと思いますが、母に会う決心がつきません。
結局、いまだに母のギャンブル依存は治りませんでしたが、これを読んで、少しでも気持ちを改めてくれる方がいることを祈っています。

 
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